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Channel: スポーツナビ+ タグ:佐藤久美子
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続・駆ける魂:佐藤信夫コーチ

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欧米との差、五輪で痛感 1960年スコーバレー五輪に初出場。当時、日本のリンクでは外周部分の氷が唯一きれいだったため、現地公開練習でも同じ要領で8の字を描いていたら「邪魔だと、えらい怒鳴られた」という。米国には整氷機(というもの)があり、どこでも氷がきれいなことを知った。今では想像もつかないエピソードである。海外では見るもの、聞くものが新しいことばかりで圧倒的な欧米との差に「外国の人に勝てるなんて百パーセント思えなかった」と回想する。山越え、谷越えコーチ指導でも幾度となく壁にぶつかった、という。日本スケート連盟が札幌五輪向けに呼んだスイス人指導者からは「私だったら、君(佐藤コーチ)を田舎で子供相手のコーチにする」と力不足を指摘された。欧州流の指導は理論的な正確さを選手に求め、米国流はスケーティングの流れや美しさを重視。そのため、佐藤コーチはどのようにすればよいのか、整理がつかず、消化して自分のものにするまで数年かかった、と昔を振り返る。「スケートを楽しいと思ったことは1度もない。とにかく頑張るしかないと思っていた。これが今の人がいう“楽しんだ”ことになるんですかね?」と述懐する。山越え、谷越えの連続で今がある、と。関大リンクには功労者として高橋大輔選手、織田信成選手と並び、佐藤信夫・久美子夫妻コーチの写真が大きく飾られている。彼が歩んできた長い道のりを小塚選手・浅田選手も歩むのだろうか。原点の「滑る技術」の徹底今では、高いスケーティング技術の指導者として有名な佐藤信夫コーチ。彼が指導する小塚選手は、国際スケート連盟の講習会でも優れたスケーティング技術の見本として取り上げられているという。その技術を誰にもおろそかにはしない。今季から指導する浅田選手もしかり。「世界女王に2度もなった人に変なこと言うと問題が起きるから、頭の中で整理して、どこから料理しようかとかは考えます」と話す。もちろん、すぐに変化は出ないし、うまくいかない時期もあるが、とにかく辛抱強く観察し続けるそうだ。浅田選手がきてまだ半年。彼女にとっても新発見だらけ。しかし、佐藤コーチは浅田選手のことを、「なんだかんだいっているうちに、いつの間にか滑りが変わってるんだから、やっぱりすごい人です」と感心する。浅田選手と小塚選手という世界トップクラスの二人を担当すると普通なら気が休まらないはず。ソチ五輪でダブルメダルを、という人もいるが、そんなことを考えたらリンクに足が向かないと答える。競技生活・コーチ人生で1度も順位を考えたことがないそうだ。10回試合して3回ニコニコできればいいのでは、と考えている。欲張らず、自分のすべきことをするのが、まさに佐藤流コーチング。その成果はいわずもがな出ている。小塚選手は着実に実力をつけ全日本チャンピオンになった。また、浅田選手のジャンプの改善も既に修正に成功。今季当初、まるで霞の中をさ迷っているかのような浅田選手が、佐藤コーチによって光ある方向へ導かれた。佐藤流コーチングは、焦らず時間をかけて選手の滑る技術を確実に上げる。

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